歴史・文化

岡谷

小口太郎碑

明治30年、旧湊村で生まれた小口太郎は、大正5年三高二部乙に入学。二部の代表クルーとして琵琶湖での漕艇練習に親しんだ。周航を楽しむのが二部クルーの慣例で、大正6年の三泊四日の周航の時、小口の作詞により「琵琶湖就航の歌」は生まれた。
2019.05.23
岡谷

出早雄小萩神社

出早雄神社は古くより諏訪神社下社の摂社で、西山田三区(横川・中村・中屋)の産土神として鎮座していた。昭和35年(1960)、小萩団地造成のため、小萩神社を遷座し出早雄神社と合祀、出早雄小萩神社となった。祭神は建御名方命の二男、出早雄命と八男...
2019.05.22
歴史・文化

手長神社

茶臼山の中腹に鎮まる手摩乳神(てなづちかみ=諏訪明神(建御名方命)の祖先)を祀る神社で、高島城の艮(うしとら=東北)の方角に位置し、高島藩の総鎮府として崇敬を集めた。階段を上って境内に入るところに「延命の杉」という巨木がある。
2019.05.22
下社周辺

慈雲寺

鎌倉幕府に仕えた下社大祝の金刺満貞は、鎌倉五山の建長寺住職一山一寧を師と仰ぎ、郷里に招くと開山として、慈雲禅寺を建立した。広い庭園には一木一石といわれる禅寺の庭にふさわしく、樹齢400年の銘木「天桂松」がある。
2019.05.22
下社周辺

今井邦子文学館

赤彦門下の歌人今井邦子の実家は、下諏訪宿のお茶屋「松屋」で、邦子はここを明日香社として女流短歌会を主宰、短歌誌「明日香」を発刊した。
2019.05.22
歴史・文化

教念寺

元亀2(1571)年、一袋上人の開山。もともとは阿弥陀如来が庶民の信仰を集める寺だったが、近年は諏訪七福神めぐり注目され、弁財天を拝みに訪れる人も多い。
2019.05.22
岡谷

旧渡辺家住宅

代々高島藩に仕えた散居武士(城下町ではなく在郷の村々に住んだ藩士)の家で、現存する武士の家としては全国的にも貴重で、県宝に指定されている。建築は18世紀中ごろとされ、その後19世紀に改築。土間が広く、農家とよく似た間取りだが、中床をそなえた...
2019.05.23
下社周辺

時計工房 儀象堂(しもすわ今昔館おいでや)

旧・諏訪湖時の科学館 「儀象堂」 中国・北宋時代に建設された水駆動による大型の天文観測時計装置「幻の天文時計・水運儀象台」を900年の時を超えて世界で始めて復元。和時計、腕時計、掛時計、ホールクロック等と併せて展示している。
2019.06.07
下社周辺

魁塚

鳥羽伏見の戦いで勝利を収めた官軍の倒幕先鋒隊「赤報隊」は年貢半減を旗印に征伐軍を進めていた。明治政府は一時の人気取りで年貢半減を唱えたものの現実不可能を悟ると、赤報隊に偽官軍の汚名を着せ断罪した。軍議の名目で下諏訪宿本陣に招集された隊長の相...
2019.05.22
下社周辺

宿場街道資料館

旧・下諏訪町立歴史民族資料館 明治になってから建てられたとはいえ、「縦繁格子」の「出格子造り」、「見世」と呼ばれる広い板の間、入り口から裏庭へ通ずる「通り庭」という土間があり、間口が狭く奥行きの長い奥に土蔵を構えた屋敷の配置は、宿場の...
2019.05.22
下社周辺

下諏訪宿本陣(本陣岩波家)

宿場の中心に位置し、参勤交代の大名など高い身分の人が公用で利用。皇女和宮も将軍家に嫁ぐ折に宿泊(上段の間:現在の聴泉閣かめや特別室)、明治天皇は御林休憩所として立ち寄っている。
2019.05.22
歴史・文化

温泉寺

高島藩初代藩主の諏訪頼水が没し諏訪家菩提寺の頼岳寺に葬られた後、頼水の志を継いだ二代目忠恒が下諏訪町慈雲寺の泰嶺和尚を招いて開山、以来高島藩主の菩提寺となった。明治3年、一部焼失したが、高島城から能舞台を本堂に、薬医門を山門に移築した。
2019.06.07