魁塚

下社周辺

鳥羽伏見の戦いで勝利を収めた官軍の倒幕先鋒隊「赤報隊」は年貢半減を旗印に征伐軍を進めていた。明治政府は一時の人気取りで年貢半減を唱えたものの現実不可能を悟ると、赤報隊に偽官軍の汚名を着せ断罪した。軍議の名目で下諏訪宿本陣に招集された隊長の相楽総三らは捕らえられ、残りの幹部も順次捕縛、友之町で処刑された。相楽総三と赤報隊こそ維新の魁であったのに、と同情した地元の人々は、塚を築いて墓碑とした。魁町の地名はこの塚に由来する。のちに、総三の孫木村亀太郎の努力により、昭和になって冤罪が認められた。地元相楽会では今も毎年命日の4月3日に遺族を招いての供養会を開いている。

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0266-27-1111(下諏訪観光協会)

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