元禄15(1702)年12月14日、赤穂浪士大石内蔵助らの吉良邸襲撃によって打たれた吉良上野介義久の養子、左兵衛義周は、高島藩に流罪となり、南之丸で3年を過したが、病弱のため22歳で亡くなった。諏訪市中洲の法華寺が遺骸を引き取り墓を建てた。平安時代建立の法華寺は、諏訪大社上社の神宮寺に準ずる地位にあり、織田信長も武田氏征服の途次に滞在、多くの貴重な文化財があったが、平成11年に焼失、現在は新しい本堂が建てられている。
連絡先
0266‐52‐3361(法華寺)
駐車場
駐車場無料(バス可)
トイレ
トイレあり