島木赤彦住居 (柿陰山房)

久保田家の養嗣子となった赤彦は、大正7年、東京のアララギ発行所から帰郷すると、自らここを「柿陰山房」と命名し、大正15年に亡くなるまでを過ごした。間口8間半、奥行き5間半、茅葺造り、在郷氏族の家屋としても評価が高い。庭には樹齢300余年の赤松と樹齢130余年の胡桃、ともに赤彦が愛した老木が残り、裏山の津島神社前に歌碑と墓がある。

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0266-27-1111(下諏訪観光協会)

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