歴史・文化

岡谷

尼堂墓地

永田徳本は三河国生まれ、貧しい庶民の救済に心を砕き、医聖と仰がれた。らい病の研究と薬草の権威として、優れた見識を発揮し、名前は現在、張り薬や塗り薬のブランド名として浸透している。東堀尼堂に暮らし118歳の大往生だったと伝えられている。神宮寺...
2019.05.23
岡谷

東堀正八幡宮(柴宮)

鎌倉時代の初期には、すでに当時の記録に上八幡とその名が残されていた古社。祭神は誉田別尊で、後に醍醐天皇の第八子宗良親王を合祀した。南朝方を中心的に支えた諏訪氏の招きによって当地に入った宗良親王は、ここを御座所とした。
2019.05.21
歴史・文化

島木赤彦生誕地

「みずうみの氷はとけてなほ寒し 三日月の影波に映ろふ」 ふるさとの冬をこう詠んだアララギ派の代表島木赤彦は、明治9(1876)年に、旧上諏訪村角間(現諏訪市元町)に塚原浅茅とさいの四男として生まれた。21歳の時、下諏訪町久保田家の養嗣子とな...
2019.05.21
下社周辺

島木赤彦住居 (柿陰山房)

久保田家の養嗣子となった赤彦は、大正7年、東京のアララギ発行所から帰郷すると、自らここを「柿陰山房」と命名し、大正15年に亡くなるまでを過ごした。間口8間半、奥行き5間半、茅葺造り、在郷氏族の家屋としても評価が高い。庭には樹齢300余年の赤...
2019.05.21
歴史・文化

貞松院

高島藩2代藩主諏訪忠恒が、生母貞松院(頼水妻)の遺志により再興し、貞松院と名も改めた。境内には貞松院のほか、藩主の子ら、そして徳川家康の六男で諏訪に配流された松平忠輝の墓もあり、「乃可勢(のかぜ)の笛」、茶釜「古天明」など忠輝ゆかりの遺品も...
2019.05.23
歴史・文化

地蔵寺

天正12(1584)年金子城鬼門鎮護寺として諏訪市中洲に建立。その後、藩主諏訪忠晴が開基となり、露山恵白を請して高島城の鬼門除けとし元禄2(1689)年、現在地に移転開山した曹洞宗禅刹。庭園の美しさが秀逸で、日本百名庭園のひとつに数えられて...
2019.06.07
歴史・文化

正願寺

奥まった路地に寺町の風情が色濃く、寺域内に角間川が流れる。あじさい寺、花の寺の通称で親しまれている。草創は不明だが、永禄5(1562)年、岌往上人により中興開山され、念仏信仰の中心として栄えた。
2019.05.22
下社周辺

諏訪湖博物館・赤彦記念館

下諏訪町町制施行100周年の記念事業として開館。諏訪湖とともに暮らす人々の歴史、文化をテーマに独特の漁法や漁具を展示、諏訪湖の湖岸や湖中に生息する動植物の生態系をジオラマ等でも紹介する一方、信玄が家宝としていた「諏訪法性の兜」を収蔵。諏訪湖...
2019.05.22
岡谷

神の木

樹齢1000年を超えるケヤキの大木で、胸高幹囲530cm。現在は主幹が切られた横から、2本の枝が大きく広がって異様な樹形をしているが、盛んな頃はさぞや壮麗な大木であったろうと想像させる。春の芽吹きの状態から農作物の出来を占ったといわれ、その...
2019.05.22
歴史・文化

上原城址

諏訪の平をを一望する戦国時代の山城で、義兄武田晴信(後の信玄)に諏訪頼重が撃たれるまでの約80年間、諏訪惣領家の本拠があった。現在も二之郭跡には巨大な「物見岩」が残る。諏訪市滅亡後は諏訪郡代となった板垣信方が城を修復、武田氏が信濃平定の拠点...
2019.05.22
下社周辺

照光寺

城向山照光寺は、真言宗智山派屈指の由緒ある名刹で、常法談林所という高い格式を誇る。本山は京都智積院、本尊は金剛界大日如来である。創建は明らかでないが平安時代にまで遡るともいわれ、室町時代に下社神宮寺憲明法印が再興し、薬師如来を安置。下社別当...
2019.05.23
下社周辺

承知川と承知橋

武田信玄は「諏訪大明神」ののぼりを軍企図するなど、諏訪大社への信仰篤く、たびたび戦勝祈願に訪れていた。戦からの帰途でこの川に差しかかった際のこと、信玄の馬は突然立ち止まり、動かなくなってしまった。馬を下りた信玄は、戦勝祈願の際に神と約束した...
2019.05.22