頼重院

四賀神戸にある曹洞宗の古刹で神向山頼重院という。諏訪頼重が甲府で自刃した際、密かに遺髪を持ち帰りここに供養塔を建てて菩提を弔ったと伝えられる。
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矢除石

寺雲寺山道の石段を滝の口から登ると途中右手に大きな岩がある。寺雲寺中興の祖といわれる天桂上人を信玄が訪ねた折のこと、師はこの岩の上に立って「私を矢で射てみよ」といい、至近距離から射かけさせたという。しかし、矢は岩にはね返され上人にあたることはなかった。信玄は、矢よけの石の念力がこもった矢除札を受け、戦場に赴いたとの伝説がある。


石彫公園

世界7カ国の彫刻家が諏訪の石材で制作した彫刻作品を野外展示する憩いの公園(昭和53年完成)。初島との間には茅野市出身の彫刻家矢崎虎夫氏作による「八重垣姫」のブロンズ像が建つ。人形浄瑠璃の演目で人気を博した物語から、武田信玄ゆかりの諏訪法性の兜を掲げ、八重垣姫が諏訪湖を渡るシーン。物語の説明の碑も建てられている。


諏訪湖博物館・赤彦記念館

下諏訪町町制施行100周年の記念事業として開館。諏訪湖とともに暮らす人々の歴史、文化をテーマに独特の漁法や漁具を展示、諏訪湖の湖岸や湖中に生息する動植物の生態系をジオラマ等でも紹介する一方、信玄が家宝としていた「諏訪法性の兜」を収蔵。諏訪湖では明治時代に「下駄スケート」が登場。館内では下駄スケートに始まるスケート靴の変遷を見ることができる。ユニークな建物は湖に浮かぶまるき船をモチーフにしている。 (さらに…)


上原城址

諏訪の平をを一望する戦国時代の山城で、義兄武田晴信(後の信玄)に諏訪頼重が撃たれるまでの約80年間、諏訪惣領家の本拠があった。現在も二之郭跡には巨大な「物見岩」が残る。諏訪市滅亡後は諏訪郡代となった板垣信方が城を修復、武田氏が信濃平定の拠点とした。
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承知川と承知橋

武田信玄は「諏訪大明神」ののぼりを軍企図するなど、諏訪大社への信仰篤く、たびたび戦勝祈願に訪れていた。戦からの帰途でこの川に差しかかった際のこと、信玄の馬は突然立ち止まり、動かなくなってしまった。馬を下りた信玄は、戦勝祈願の際に神と約束した社殿の建て替え、千手堂三重塔建立を思い起こし、「神のお告げ承知仕り候」と申し上げたところ馬は再び歩き出したという。それからこの川を承知川、橋を承知橋と呼ぶようになった。


慈雲寺

鎌倉幕府に仕えた下社大祝の金刺満貞は、鎌倉五山の建長寺住職一山一寧を師と仰ぎ、郷里に招くと開山として、慈雲禅寺を建立した。広い庭園には一木一石といわれる禅寺の庭にふさわしく、樹齢400年の銘木「天桂松」がある。 (さらに…)


高島公園

本丸跡地にはたくさんの桜が植えられ、心字池側の風情を醸し出す落ち着いた公園として市民に開放されている。園内の藤棚も美しい。昭和45(1970)年には、古い写真を元に天守閣外観を復元。 (さらに…)


小坂観音院

湊小坂区の諏訪湖を見下ろす丘に建つ龍光山観音院は、室町時代の嘉禎年間造営、江戸初期に諏訪頼水ら藩主の寄進を受けて改修が行われたとの記録が残る寺。柏槙の大木は、弘法大師の手植えと伝えられている。 (さらに…)


高島城

湖水と河川に囲まれた地形を生かし、難攻不落を誇った水城で、「諏訪の浮城」と呼ばれた高島城は、天正19(1591)年、豊臣秀吉臣下の武将日根野織部正高吉が領主となったその年に城地の見立てと設計を済ませ、翌年から7年ほどかけ築かれた。江之渡郭、二之丸、三之丸、本丸が一直線に並ぶ連郭式の形態を示し、本丸には三層の天守がそびえていた。 (さらに…)