片倉館

後にシルクエンペラーとして名を馳せた片倉財閥の二代目片倉兼太郎は、海外視察の際、欧米諸国で文化や福祉の施設充実に感銘を受け、諏訪にもこうした施設を作りたいと、帰国後公衆温泉施設と文化交流のための施設の建設に着手。昭和3年に片倉館が完成した。 (さらに…)


島木赤彦住居 (柿陰山房)

久保田家の養嗣子となった赤彦は、大正7年、東京のアララギ発行所から帰郷すると、自らここを「柿陰山房」と命名し、大正15年に亡くなるまでを過ごした。間口8間半、奥行き5間半、茅葺造り、在郷氏族の家屋としても評価が高い。庭には樹齢300余年の赤松と樹齢130余年の胡桃、ともに赤彦が愛した老木が残り、裏山の津島神社前に歌碑と墓がある。


地蔵寺

天正12(1584)年金子城鬼門鎮護寺として諏訪市中洲に建立。その後、藩主諏訪忠晴が開基となり、露山恵白を請して高島城の鬼門除けとし元禄2(1689)年、現在地に移転開山した曹洞宗禅刹。庭園の美しさが秀逸で、日本百名庭園のひとつに数えられている。 (さらに…)


慈雲寺

鎌倉幕府に仕えた下社大祝の金刺満貞は、鎌倉五山の建長寺住職一山一寧を師と仰ぎ、郷里に招くと開山として、慈雲禅寺を建立した。広い庭園には一木一石といわれる禅寺の庭にふさわしく、樹齢400年の銘木「天桂松」がある。 (さらに…)


指月庵

江戸時代寛政年間に造られた温泉寺の陰寮。庭園も同時期の作庭と見られ、当時は建物から見る座視鑑賞式、小池泉庭園であったといわれるが、現在は改修して、池泉鑑賞式兼廻遊式となっている。


下諏訪宿本陣

宿場の中心に位置し、参勤交代の大名など高い身分の人が公用で利用。皇女和宮も将軍家に嫁ぐ折に宿泊(上段の間:現在の聴泉閣かめや特別室)、明治天皇は御林休憩所として立ち寄っている。 (さらに…)