法華寺

元禄15(1702)年12月14日、赤穂浪士大石内蔵助らの吉良邸襲撃によって打たれた吉良上野介義久の養子、左兵衛義周は、高島藩に流罪となり、南之丸で3年を過したが、病弱のため22歳で亡くなった。諏訪市中洲の法華寺が遺骸を引き取り墓を建てた。 (さらに…)


尼堂墓地

永田徳本は三河国生まれ、貧しい庶民の救済に心を砕き、医聖と仰がれた。らい病の研究と薬草の権威として、優れた見識を発揮し、名前は現在、張り薬や塗り薬のブランド名として浸透している。東堀尼堂に暮らし118歳の大往生だったと伝えられている。神宮寺石で作られた徳本の藍塔に乾室徳本庵主と刻印がある。 (さらに…)